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【外国新聞中の昔の日本:1878年】日本の食事は最低!

昔の外国新聞で描かれた昔の日本

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今は和食は欧米でも一つのジャンルとして確立しているように見え、一定層のファンはいるようだ。

 

しかし、最初に接した欧米の人にとって日本食は最低の食事だったようだ。

 

 

これは日本食のレベルが上がったのか、それとも欧米の人の舌が慣れたのか? 

興味深い論点である。

 

 

 

さて、下は、明治維新後の1878年にある英国人の新聞への寄稿である。日本食は滅茶苦茶に叩かれている。

それでも一部の旅行好きな欧米人は、現地の日本人と同じ食事をするべきだと主張したりしていたみたいだが、そういう旅行者は今でも居そうで面白い。

 

 

 日本の珍味

 

ある日本に住むバーミンガム出身の男はこう言った。

日本にいて最低なことといえば、それは食事だ。

本当にひどい、実際に有害とまで言える。食べられる食事を注文するには、しっかり指定しないといけない。

 

旅行者の中には、日本人がするのと同じようにすることを勧めるものもいるが、全く同意できない。

 

日本人と同じようにするというのはどういうことか。

 

それは床に敷いてある汚い二枚のマットの間で寝た後に、不快で、かつ家の全員と路上の人から丸見えの場所にある部屋の一角に行き、極端に薄い銅製のたらいに指をひたし、

 

(中略)

 

小さなカップで苦い茶を飲み、そして、彼らが塩漬けした梅というものを食べる。しかし、これは見た目も味も、数か月間古い酢につけられたピンク色の吸い取り紙にしか思えない。

 

朝食に出てくるものといえば、

数日前に調理されたぶよぶよした魚の乗った皿、

魚の目と尻尾が入って木の皮の切れ端が浮かんでいる温かい塩水、

何か茶色の小さな穴が開いているものと、生茄子の切り身、多くのねばねばしたもので覆われた多くの豆、奇妙な一塊の攻撃的な、カブの上の部分か、若しくは放置されたサワークラウト(注:ドイツのキャベツ漬物)のような野菜的物体が載せられたや皿

などである。

 

勿論冷えたご飯もお好みに応じて出てくる。

 

そして、一番確実に手に入るのはとても塩辛い乾燥魚か、味のない生魚のかけらである。

 

彼らはこれよりもいいものを出そうという考えがない。

 

全ての果物には塩が振られていていて、ジャムにさえも塩が振られている。そして水はまるで金魚鉢から汲んできたかのような味がする。

 

彼らはありとあらゆるひどい食べ物を出してくる。例えばカタツムリ、海藻、くさいキノコ等だ。

 

【出所】:The Dundee and Argus 紙(1878年1月14日)

【外国新聞中の昔の日本:1859年9月17日 英The Hereford Times紙】日本との貿易

昔の外国新聞で描かれた昔の日本

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以下は、1859年9月17日の英国 The Hereford Times 紙に表れた日本と様子を描いた記録である。日米修好通商条約の翌年の記事である。

 

誰が書いたかわからないのが残念だが、文章からするに長崎に駐在している英国人の政府関係者で、長崎に着任したばかり、江戸幕府との交渉をしようと準備中の時のように思える。

 

なんとなく、今日本に旅行にきている欧米の旅行者も同じようなことを言いそうな気がしてきて、日本の様子や日本人の対応もなんだか今と変わらない気がしてきて興味深い。

 

 

以下が新聞記事の日本語訳:

日本との貿易 - 以下の文章は日本の長崎から届いた6月6日付の手紙からの抜粋である。

 

「私たちはこんなに遠くまで来ました。

最初の日本に対する日本の 印象は、とてもチャーミングだということです。この愛すべき、新鮮な景色はとても素晴らしいです。

海岸線から山の頂上まで、人の目を喜ばせるありとあらゆるものがここにあります。豊かな緑が生い茂っています。

生活費は安いです。雄牛が 7 ドルで、魚・卵・野菜はただです。家賃も高くありません。今のところ、彼らはお寺や僧侶の家を全ての欧州人に貸してくれています。

政府機関はとても紳士的で、私たちの要望をかなえる為にとても気を使ってくれているように見えます。

私たちはここ(注:長崎)に領事館を構えます。そして江戸に行き、条約を交換します。同時にサンプソンが他の人達を連れて函館に行きます。

      (後略)

 

 出所: The Hereford Times (1859年9月17日)

ころりころげた木の根っこ ー 新しい仕組みへ

 

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「まちぼうけ」という歌を聞いたことがある人は多いと思う。
 
「まちぼうけ まちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ そこに兎が飛んできて、ころり転げた木の根っこ~」

 



 

歌で歌っている話は、こういうものだ 
 
 
-- ある時一人の農夫の目の前を兎が勝手に走ってきて切り株にぶつかって倒れた。何の労力もなしに兎を手にすることが出来た農夫は喜び、農業をやめて切り株の前で待つことにした --

 

一度兎が取れたからといって、それは「まぐれ」であって、もう一度兎が取れるとは考えにくい。誰が見ても馬鹿だなと思う話だ。
 
 
 
この話はいったい何なのだろうか? 知っている方も多いとは思うが、元の話は中国の故事から来ている。
 
2000年前以上の中国で、韓非という学者が、「秦」の国の王様に政策を進言した時の例え話、「守株待兎」と呼ばれる話である。
 
 
当時の中国は戦国時代。今のように統一した国は存在してなく、複数の国が並び立ち、お互いに争っていた。
そして韓非は、「韓」の国の人。彼を招いた秦王はもちろん「秦」の国の人。それなので、韓非は秦の国からしてみれば外国人学者であった。
 
最近、日本の安倍首相がアメリカの経済学者のジョセフ・スティグリッツ教授やポール・クルーグマン教授を呼んで政策提言をしてもらったが、秦王が韓非に提言してもらったのはもしかするとこれに近いイメージではなかったかもしれない。
 
 
そして、その政策提言の中で韓非は、この誰が聞いても明らかに愚かな農夫の話をしたのである。
 
 
 
その意図は何か?
それは、古い時代の制度に回帰しようとする「徳治」を止め、新しい時代にあった制度である「法治」に思い切って舵を切れと、秦王の背中を押すことであった。 
 
 
話は少し離れるが、当時の中国において、一つの技術的ブレイクスルーがあり、その技術の普及で社会が大きく変化しつつあった。
 
その技術は何か?それは「製鉄技術」である。この技術によって、鉄を使った農具、例えば鉄の鍬や鉄の鋤が普及したのだ。
 
 
 
それまでは、農作業は石製や木製の農具で行っていた。銅(青銅)の農具も一部有りはしたが、高価な銅は誰でも使えるものではなかった。
 
石や木製の農具で農作業をするのは大変だった。その為に農業は多くの人が共同で行うものであり、農地も共同・国有のものだった。そして生まれながらの特権階級である貴族が土地を管理し、税収を得ていた。
 
 
 
鉄は技術的には銅よりも加工が難しいが、銅のような希少な貴金属でない為にコストがとても安い。一度製鉄技術が広まると、鉄製の農具は広く普及した。
 
鉄製農機具の普及により、農民の一人ひとりの生産性が一気に高まった。このことで、農民は国に頼らずとも、自分とその家族だけで独立しても農業を出来ることになった。
 
そして農民は国有の土地での本業はほどほどに、皆副業である私有地開拓に乗り出した。才覚のある農民はどんどんと開墾して農地を拡大し、富を蓄え、新興地主層として力をつけていった。
 
 
そうすると何が起きるか? 国有地からの収入が減少し、貴族層は困る。一方で実力をつけた地主層は貴族の様々な特権に不満が募る。今までうまくいった仕組みが色々とうまく回らなくなってきたように感じられてきた。
 
 
 
その状況に対してどうするか?そこで別々の解決策をとる二つのグループが出てきた。
 
一つ目は「徳治」派。
昔はよかったのに今がだめなのは、元々の仕組みが問題だったのではない。
問題は、元々の仕組みを「ちゃんと」していないことにある。昔からあった儀礼もちゃんとしていないし、何よりも支配者の「徳」が低下している。
昔みたいに儀礼をして、昔の聖人君子を倣って「徳」を取り戻せば解決するはずという考え方。この考えは既得権益層である貴族に支持された。
 
 
二つ目は「法治」派。
そもそも、もう昔の仕組みは通じない。貴族の特権なんかなくして新しい時代にあった社会の仕組みを作ろう。特に誰にでも明確で平等に適用される法律を作ろうという考え方。これは新興地主層に支持された。
そして、韓非は二つ目の「法治」派の代表的な学者だった。
 
 
 
 
 
「秦」の王様は「法治」にシンパシーを感じていた。
 
もしかすると後進国であるがゆえに、伝統へのこだわりが弱かったり、既得権益層の貴族も強くなかったこともあったかもしれない。
 
 
それでも決断の際には、秦王にはきっと迷いもあっただろう。昔からの伝統のある方法を捨てて、新しい制度を導入していいのだろうか。当然「法治」にも様々な弊害がある。それを指摘する人も多くいただろう。伝統を捨ててはいけないという人もいただろう。色々悩んだはずだ。
 
そんな中で、韓非を呼んだのだ。 
 
 
 
 
韓非はこの馬鹿な農夫の話で、秦王の背中を押した。
彼が言いたかったのはこういうことだ。
 
 
「既に時代は変わった。思い切って法治に舵を切れ!徳治なんていうものは、たまたま昔成功しただけで、今後うまくいくことはない。それにこだわるのは兎がまた切り株にぶつかるのを待っている馬鹿な農夫と同じだぞ」
 
 
 
 
最終的に秦王は法治に舵を切った。
 
 
 
秦は他の国よりも徹底的に「法治」を導入した。
貴族の特権はなくなった。公平な法律が導入された。
特権階級の貴族からの圧迫がない中で、新興地主層は全力で農業に取り組んだ。みるみる間に農業の収穫量は上がり、国は豊かになった。
 
そしてその強いな国力を背景に、辺境の後進国であった秦国は、中国を歴史上最初に統一するという偉業をなしとげたのである。
 
 
 
・・結構単純化しており、歴史に詳しい方からは色々指摘もされそうだが、これが「まちぼうけ」の歌の背景にあるストーリーである。
 
 
 
 
 
さて、
 
 
2000年以上前に、製鉄技術という技術のブレイクスルーがあったように、この数十年の間にも技術のブレイクスルーはあったように思える。
 
例えばこの20年間で進んだ、PC とインターネットの普及は、昔の鉄製農具の普及と同じ位のインパクトはあったかもしれない。
それ以外にも技術のブレイクスルーや、技術に止まらない大きな社会の変化は色々あったようにも思える。
 
 
一方、日本に目を当てると、日本が成長してきた 1980年代までというのは、この大きな変化の起きる前のことである。
 
今の日本の色々な仕組み、それは法律みたいな明らかなものもあるし、暗黙の了解みたいなものもある。それには色々軋みも見えてきているように思える。
これはそもそも、日本の仕組みが、昔の社会に合わせて作られているからではないだろうか?
 
 
仮にもしそうだとするならば、今の日本において、「徳治」派はいるか?それはいったいどこに戻ろうとしているのか?
 
そして、「法治」派はいるか?新しい何を目指そうというのか?
 
何が一体「貴族層」で、何が「新興地主層」なのか? 
 
「愚かな農夫」にならない為にはどうすればよいのか?
 
「秦」になるにはどうすればよいのか?
 
 
 
 
 
すあま

 

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日本はいつまで技術大国か?-ドローン分野では少なくともそうでない

 

 

 

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2017 年の 7 月からドローンによる無人飛行タクシーがドバイで開始されるとのこと。

ドバイは 2030 年までに交通量の 25% を無人化しようという計画を持っており、今回の取り組みはその一環だ。

 【参考】ニューヨークタイムズの記事

 

恐らく本格的な普及には安全など課題は山積みだろうが、それでも明らかに最先端の取り組みだ。昔の漫画なんかで見た未来都市が実現に一歩近づいている。

 

そして、ここで使われるドローンの機体は、中国メーカーの EHANG 社が提供することになるということだ。

EHANG社は、小型のドローンのメーカーとして実績を積みながら、明確に人を乗せる飛行交通手段としての大型ドローンのメーカーになることを将来のビジョンとして掲げている。

今回はその大型ドローンEHANG社と先端都市を目指すドバイの両方の方向性が一致したのであろう。

 

さて、このドローンの分野はEHANG社にとどまらず、海外メーカーのプレゼンスが圧倒的である。少し古い2015年の米国市場のデータによると、特に中国メーカーであるDFI が、全体の5割を占め、次に米国メーカーの AeroVironment と 3D Robotics が合計で2割を占める。日本メーカーの影はない。

 

別にすべての先進分野で日本メーカーが世界的にリードをする必要は全くないのだが、このようなエレクトロニクス製品はいかにも日本が本来強そうな分野である。それに、もし将来の交通手段にもなるのならば、とても重要な分野にも見える。

 

この状態は意図したことなのだろうか? 

 

もしそうでないしたら、それは何が原因なのだろうか?

 

高いコストか?部品サプライヤーがいないことかか?ベンチャーが育たない環境か?新しい分野に投資する資金がなかったことか?トライアンドエラーを許さない安全重視の規制?それとも全部か?

 

少し飛躍するが、もし今後先端分野でリードしたかったら、何をしなくてはいけないのか?何を捨てるべきなのか?

 

 

すあま

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コンテナ が グローバリゼーションの仕掛け人か

 

コンテナ。

 

 

 

あまり普段の生活では意識することはない。 

 

荷物を運ぶときに使われる、鉄やアルミでできた、同じ形をした大きな箱である。

1965年に初めて使われ、今は世界中で荷物を運ぶのに欠かせない箱である。

 

コンテナは、「コンテナ船」と呼ばれる船に載せられて、世界の港から港を移動する。

一つ一つの箱の中には、服やらおもちゃやら、家電やら、車の部品やら、色々な荷物が載せられ、世界を旅する。

 

 

 

「コンテナ港」と呼ばれる大型の港では、自動化された大きなクレーンが待ち構えており、次から次へとコンテナを下す。

 

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そして、これらのコンテナは、トラックに載せられて、津々浦々へと運ばれるのだ。

 

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今や物流の中で欠かせないながら、あまり注目されることのない地味な箱。このコンテナの歴史にスポットライトを当てたのが、書籍『コンテナ物語』(原題: The BOX)を書いたエコノミストのマルク・レビンソン氏である。

 

そして、彼がこの本で書いている主張は興味深い。

 

世界中を物が行きかう『グローバリゼーション』は、このコンテナの発明によって成し遂げられたということである。

 

コンテナが発明される前までは、荷物の輸送は、袋や箱等のいろいろな入れ物で、それも色々な形で行われていた。

そのような状況で、港での荷物の積み下ろしは多くの港湾労働者によって行われていた。これはとても時間と労力がかかる作業だった。また途中で荷物が盗まれたり、壊れたりすることは日常茶飯事だった。そういうことで海上輸送コストは安くなかった。そして輸送コストのかなりの部分をこの荷物の積み下ろしが占めていた。

 

同じ形のコンテナの発明によって、荷物の積み下ろしは機械化(大型クレーンやリフトの利用)・自動化が出来るようになり、輸送コストは大幅に低下した。

そのことで、遠く離れた地域(例えばアジア→アメリカ)からも安く物を持ってこられるようになった。「サプライチェーン」という言葉が生まれ、世界中で一番安い地域から物を買ってくるという考え方が当たり前のようになってきた。

低コストを強みとして後進国はアメリカ等の先進国に輸出を行い、新興国として発展をした。一方で、消費者に近いことで胡坐をかいていた高コストの先進国企業は衰退した。

そして、モノが世界を行きかう「グローバリゼーション」の時代がやってきたというのだ。

 

地味な一つの箱に焦点をあてて、大きな世界の変化を語る議論はとてもダイナミックだ。

 

またこのコンテナの事例は物流に携わっている人以外にも大きな示唆があると思う。コンテナが箱のサイズを規格化したように、何かを規格化するだけで大きな変化を起こすことが可能かもしれないということだ。例えば、インターネットはどうか。情報がかなり混みあっているが規格化することでどのような変化が可能になるだろうか。

 

 

ちなみに、最近は反グローバリゼーションの動きが、先進国を中心に強まっているようにも見える。これも、このコンテナがもたらした作用の一つなのだろう。

 

suama

 

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インドのパレードは何かすごい ~ India Republic Day 2017

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「インド人もびっくり」という言葉がある。

 

この言葉はどうやら元々はカレーのテレビCMのフレーズだったとのことだが【出所】、カレーのCMを超えて、様々な場面で驚きを表すのに使われることもある。

私もたまに軽々しく使うこともあった気がするが、ある動画を見て、認識を改める必要があると感じさせられた。

 

それが下の動画である。

 

毎年1月26日はインドの三大記念日の一つ、「Republic Day」である。独立共和国となったインド憲法の施行が1950年の1月26日に行われたが、これを祝って、毎年外国首脳も呼び、パレードを行っている。(尚、日本の安倍首相も2014年に参加している)

そしてこの動画は、今年(2017年)の「Republic Day」のパレードの様子を収めた動画だ。

 

www.youtube.com

 

 

パレードの最初に出てくるのは軍隊である。陸軍・海軍・空軍・ラクダ騎兵・特殊部隊、次々と登場する。

 

ここまではどこの国でもありそうだが、パレードを見ているとだんだん予想外のものが登場する。

 

  • 獅子舞のようなもの
  • ねぷたのような大きな人の像と、その周りで踊る人
  • 動く亀
  • ボリウッドのようなダンス
  • 回転する人形
  • 動く船
  • スキー場
  • 大きな手のひら
  • 阿波踊りのようなダンス
  • バイクの上で10人位で組体操する人
  • バイクの上で組体操しながら前後左右に回転する人

 

等がこれでもかとばかり次々に登場するのである。だんだん楽しくなってくる。

 

恐らく一つ一つに意味があるのだと思うが、少なくともそれを知らない外国人にとっては、一方的にびっくりさせられ続けてばかりである。

 

しかし、これを見ているインド人は、それほど驚きの表情を見せない。特に時折アップになる首相は表情を全く変えていないのである。

 

これを見せられると、インド人をびっくりさせられる気が全くしない。もし仮にびっくりさせられるとしたら、相当な驚きに違いないのである。「インド人もびっくり」というのはそういうことなのだ。

 

そして来年が楽しみである。

 

 

すあま

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